相続の相談では、「被相続人の遺言書があるけど、作成した時点で被相続人は認知症だったので無効ではないですか?」という質問がよくあります。
この質問には一言で答えることはできません(たいていの質問も一言で答えることは難しいですが・・)。
あえて一言で答えるとすれば、「遺言能力のない状態で作成した遺言書は無効です」となります。
しかし、これではほとんど答えになっていませんね。
中身のある話をするためには、「遺言能力はどのようにして判断されるのか」について説明しなければなりません。
遺言能力の有無は画一的要素で決まるのではなく、個々の具体的な状況を総合して判断されます。
裁判例を見ると、例えば、東京地裁平成16年7月7日判決では、「遺言には、遺言者が遺言事項(遺言の内容)を具体的に決定し、その法律効果を弁識するのに必要な判断能力(意思能力)すなわち遺言能力が必要である。遺言能力の有無は、遺言の内容、遺言者の年齢、病状を含む心身の状況及び健康状態とその推移、発病時と遺言時との時間的関係、遺言時と死亡時との時間的間隔、遺言時とその前後の言動及び精神状態、日頃の遺言についての意向、遺言者と受遺者との関係、前の遺言の有無、前の遺言を変更する動機・事情の有無等遺言者の状況を総合的に見て、遺言の時点で遺言事項(遺言の内容)を判断する能力があったか否かによって判定すべきである。」と判示されています。
そして、上記各項目について検討するための具体的な手がかりとしては、①遺言の内容、②医学的知見、③改訂版長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)、④介護記録、⑤遺言書作成に同席した者の証言、⑥親族の証言等が検討材料となり得ます。
①遺言の内容については、遺言内容が複雑であれば、より高度の意思能力が必要ですから、遺言作成時において遺言の内容にふさわしい意思能力を備えていなければなりません。
これに対して、単純な内容の遺言であれば、高度の意思能力を備えていなくても、遺言の内容を理解した上で作成することが可能です。
②医学的知見については、医療期間のカルテ等から、遺言作成時の遺言者の病気の種類(特にアルツハイマー型認知症か否か)や症状を吟味していくことになります。
認知症といっても治療可能な認知症(慢性硬膜下血腫)、改善と悪化をくり返しながら進行する認知症(脳血管性認知症)、時間をかけてゆっくりと進行する認知症(アルツハイマー型認知症)等があり、どの型の認知症であるかによっても見方が変わってきます。
③改訂版長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)については、満点が30点で平均点は24点前後と言われています。20点以下だと認知症の疑いが高いと判定され、10点前後であれば高度の認知症とされます。
しかし、HDS-Rの点数はあくまで目安に過ぎません。点数が比較的高くても遺言能力が否定された裁判例もありますし、逆に点数が比較的低い場合でも遺言能力が肯定された裁判例もあります。
④介護記録については、遺言者の生活の様子が記録されており、医学的知見を補足するものとして重要な考慮要素となります。
⑤遺言書作成に同席した者の証言については、直接、遺言作成時の遺言者の能力を観察している者として重要です。ただし、遺言者との関係性や相続人との関係性によっては証言の価値が必ずしも高いとは言えない場合もあります。
⑥親族の証言については、普段から遺言者の近くにいて遺言者の言動を観察しているものとして重要です。ただし、この場合でも、遺言者との関係性や相続人との関係性によっては証言の価値が必ずしも高いとは言えない場合があります。
このように、「認知症の人が作成した遺言書は無効になるのか?」と質問されても、一言では答えることはできず、上記のような様々な状況を検討して判断することになります(最終的には裁判官が判断することになります)。